9月8日より開催されるリオパラリンピックで100m、400m、1500m走競技に出場が決まっている上与那原寛和選手。
31歳で競技を始めたオールドルーキーながら、北京・ロンドンパラリンピックで素晴らしい成績を残している選手です。
リオパラリンピックでは出場しないものの、特にマラソン競技では2008年の北京パラリンピックで世界新記録を叩きだすなど、車いす陸上界のトッププレーヤーです。
今回は、そんな上与那原寛和選手の背負った障がいの原因などの詳しいプロフィールや、家族について紹介していきます。
上与那原寛和選手のプロフィール
上与那原寛和選手は、沖縄県出身の45歳。競技を開始したのは31歳とオールドルーキーですが、2007年には練習のかいあって、当時の車いすハーフマラソン、フルマラソンともに日本記録を樹立。
翌年の北京パラリンピックでは200m、400m、800m、マラソンに出場し、全種目入賞、マラソンでは世界記録を3分半も更新する走りだったものの、1位の選手にわずか3秒及ばず銀メダルという結果。
この走りを評価され、沖縄県知事から県民栄誉賞を送られました。沖縄県民栄誉賞をもらったのは当時2人目で、1人(1組)目は甲子園で沖縄県勢初優勝を果たした沖縄尚学高等学校です。(1999年)
ロンドンパラリンピックでは、400m走に出場し、3番目にゴールするもコースアウトとみなされ失格に。悔しい結果となりましたが、世界に実力をアピールしました。
そんな上与那原寛和選手の詳しいプロフィールはコチラ。
- 名前 上与那原寛和(うえよなばる ひろかず)
- 出身 沖縄県沖縄市
- 生年月日 1971年5月22日(45歳) ※メディアによって3月22日とも表記されています
- 身長 170cm
- 体重 61kg
- 出身中学 山内中学校
- メダル 北京パラリンピックマラソン競技 銀メダル
輝かしい成績を残されている上与那原寛和選手ですが、31歳の時に車いす陸上競技の道に進まれたということなので、後天的な障がいを負ったのでしょうか。調査してみました。
上与那原寛和の背負った障がいと原因は?
上与那原寛和選手の障がいの原因は事故によって引き起こされたようです。
2000年に、バイクに乗って帰宅途中に乗用車と事故を起こし跳ね飛ばされ、首を骨折し頸椎(けいつい)を損傷、足が動かなくなったほか、手にも麻痺が残りました。
車いす陸上競技を始めたきっかけは、友人に事故のリハビリとして車いすマラソンに誘われて走ったのがきっかけです。
リハビリとして誘われたという上与那原寛和さんが、いまや車いす陸上競技のトッププレーヤーですからね。誘った友人もさぞ鼻が高いのでないでしょうか。
そんな上与那原寛和選手ですが、奥さんやお子さんはいらっしゃるのでしょうか。
上与那原寛和の妻はどんな人?子どもは?
上与那原寛和さんには2歳下の妻と2人のお子さんがいます。
奥さんは、寛和さんが事故で職を失ったときにパートで家計を支えてきました。お子さんは、20歳と18歳の男の子です。家族4人、支え合いながら暮らしているようです。
現在、どういった進路に進んでいるのかはわかりませんでしたが、偉大な父親・寛和さんの背中を見て育っているのですから、きっとまっすぐ進まれていることでしょう。
上与那原寛和選手はメダルを獲得できる?
上与那原寛和選手は現在45歳と、アスリートとしてはかなり高齢となっていますが、リオパラリンピックではメダルを獲得することができるでしょうか。
私の予想では獲得できるのでは、と思います。
というのも、上与那原寛和選手は前回パラリンピックでは、コースアウトとみなされ失格になってしまったものの、3位でゴールしています。
このとき41歳ですから、まだまだ戦えるのではないでしょうか。
そう考えると、上与那原寛和選手のメダルは期待できると思います。
まとめ
今回は、沖縄県の誇る英雄・上与那原寛和選手について紹介しました。
リオパラリンピックは日本時間では9月8日より開催されます。
日本でも、テレビ中継があるので、上与那原寛和選手選手を応援しましょう。
開会式や詳しい日程についてまとめてあるコチラもどうぞ。
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